なぜ、人生が変わったのか?
昨日の
人生が変わった。
※12/24投稿 『メリークリスマス』の末文
の、続き。
それはどういうことかと言うと、やっと私の人生の目的ができた。
「それまでなかったのか?」と問われれば、はっきり「なかった」と答える。
人生に目的がなかったから、辛かった。
目的ができれば、自分はどう生きたらいいかが分かる。
子育ても「目当て」つまり、目標が大切だと言うことを何度となく書いているが、人生にも「目当て」や目標が必要だと思う。
何のために生きていますか?
何のために頑張るのですか?
どうなりたいのですか?
どこに行きたいのですか?
私はこの質問の全てに答えることができなかった。
教会で福音を学んでから、私はこの質問に答えられるようになった。
なぜ、鬱にならないのか?
15年前、4人の子どもたち全員が発達障害の診断が出た時に、ドクターは私を見て言った。
「あなたは鬱になりませんか?」
私は、あまり考えることもなく「私、クリスチャン ですから」と答えた。
ドクターは納得したようで、それ以上何もおっしゃらなかった。
ドクターだけじゃない。
似たような質問を何度か受けた。
みんな、不思議に思うみたいだ。
「耐えられない試練なんてない」
「試練の後には祝福が待っている」
「明日を思い煩うなかれ」
「喜びなさい。繰り返し言うが喜びなさい」
‥‥‥‥‥‥
その一つ一つの言葉が私を支えて来た。
私は小さな人間だ。
どこにでもいる普通のちょっと抜けたおばちゃんだ。
その私が「心から人の役に立ちたい」と思っていたら、そのようになった。
正しい願いは叶えられる。
私は神様の愛を、イエス キリスト様の愛を日々感じながら生きている。
今日、教会の礼拝堂の椅子の上に小さなお菓子とメッセージが置いてあった。
宣教師から、皆へのプレゼントだった。
彼らは若いアメリカ人だ。
でも一所懸命、日本語で書いてくれた。
私は読んだときに泣きそうになった。
彼らの愛が確かに伝わって来た。
彼らの愛の出所は神様、そして、イエス キリスト様。
私はこれからも自分の目標に向かって歩いて行くε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。 (ヨハネ3:16-17)