幸福度が低い

「幸福度が低い」っていう言葉が適当かどうかはわからないけど、私は昔から、自分は「幸福度が低い」と思っていた。

どういうことかと言うと、すごく小さいことで幸せになれる。

昨日、庭の河津桜が一輪咲いた。

それだけで朝から幸せになる。

ちよっと前に三日月のすぐ横に金星がまるで涙の一しずくのようにポチッとあった。

そんなステキなものを見たら嬉しくて嬉しくて、みんなに「空を見上げてー」って思う。

家族のグループラインやfacebookには「見て見て」って書いたけど……

その他にも数限りなく、私を幸せにするものがある。

今もみくる(=^・^=)が私の横にいる。

ニャンとの生活はそれだけで幸せ。

家族写真のパネルを毎朝眺めて、「みんな、今日も幸せにねー」って手を振る。

誰かが見ていたら「変なおばさん」でしかないけど、本人はけっこう幸せ。

体調を崩した夫に寝る前にオイルマッサージをする。

「気持ちよかった」って熟睡する(本人が熟睡できたと言います)
それを聞くと朝から幸せ。

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自分次第

講演を聞いて下さった方が「元気出ました」「希望もちました」って笑顔で帰って下さる。

めっちゃ幸せ。

私の周りには幸せの種はいくらでも転がっている。

幸せは感じるものだし、その感じ方は一人ひとり違う。

以前「子どもたち全員が発達障害で、アンラッキーだね」みたいなことを言われたことがある。

正直大変だったけど、アンラッキーだと思ったことはない。

本にも書いたが、できないことがたくさんある分できるようになったらすごく嬉しいし、大変な子どもを育てていると、普通よりたくさんの出会いがあるし、なかなか濃いお付き合いができたりする。

いいこともいっばいある。

どんな状況でも幸せを感じる人と、そうじゃない人がいる。

恵みはたくさんある。

辛くて辛くてたまらない最中にあっても、そこで出会った方の優しさに触れて泣きそうになる。

もちろん悔しくて悲しくて泣くこともたくさんあるけど……

それでもあえて言う。

幸せも喜びも恵みもたくさんある。

それを受け取るかどうか、感じるかどうかなのだと思う。

私は幸福度が低くて本当に良かった。

 

たった一度の人生

 

たくさんの喜び、幸せを感じて笑顔でいたい\(^o^)/

 

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