遅刻する理由
私はクリスチャンなので、日曜日は毎週教会に行く。
かなり前のこと。
毎週、教会に遅れて来る家族がいた。
だいたい20分くらい遅刻する。
たまにではなく毎週。
なんでだろうな?と思っていた。
程なくして、その友人と話す機会があった。
私から聞いたわけではないが、彼女は自分から話してくれた。
「毎週、私も子どもたちも支度ができて教会に行く時間になると、夫がシャワーを浴びるの。
遅刻するから、早く出てねと言ったら、30分以上出てこなかった。
声をかけると必ずしばらく出てこない。
だから、いつも夫がシャワーから出てくるまで黙って待っているの」
支度ができているのに、遅刻するのに、黙って毎週夫を待っている彼女の心の内を思うとたまらなかった。
でも、誰もそんなこと知らない。
「なんで、毎週、毎週決まって遅刻するのだろう?」
そんなふうに思う。
その後、その友人とはとても仲良くなって、色んな話をするようになった。
家族のことで大変な思いをしながらも、いつも明るい彼女は私の模範だった。
聖書の中には「人を裁くな」という聖句がよく出てくる。
人の表面だけを見て、判断してしまうことがある。
さっきの友人のように、色んな事情がある。
だいたいは、そういう事情は周りからはなかなか見えない。
色んな事情
発達障害の子どもを育てていると、親なのに何をやってるんだ的な冷たい視線を浴びることがある。
「親のしつけができていない」
そんなふうに見られる。
辛いなぁと思う。
かっこ悪いこともたくさんある。
よく、思ったものだ。
「私のこの辛さを分かってくださっているのは、神さまだけだ」
子どもたちが全員成人して、そういう思いをすることはなくなった。
でも逆に自分を戒める。
「なんでそんなふうかな〜?」
そういう思いが沸き起こったとき、人には色んな背景や事情があるってことを思い出す。
全てのことには理由があるんだから‥‥
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤りで量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって『あなたの目からおが屑を取らせてください』とどうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。」マタイ7:1-5