ファシリテーター
クリスチャンだから、毎週教会に行く。
それで、1ヶ月か2ヶ月に1回集会の中で、ファシリテーターをすると役割をもらっている。
たまたま、特別支援士のお勉強のときに、ファシリテーションについては学んでいて、ファシリテーター次第で、その話し合いが変わってくることはよく分かっていた。
とにかく、良い話し合いができて、そこから一人一人が何かを学び、生活の中に活かせるようにという目標がある。
ファシリテーターは集まった方の考えを上手に引き出せるように努める。
従って、自分がしゃべり過ぎてはいけない。
賜物をどうやって使う?
それで、今日は「賜物」についてだった。
クリスチャンになる前は「賜物」ってあまり聞かない単語だった。
賜物って
1 恩恵や祝福として与えられたもの。たまわりもの。
2 あることの結果として現れたよいもの、または事柄。成果。
ということらしい。
まぁ ざっくり言うと、私は神さまから与えられた良いものって捉えている。
そして、その賜物は自分のためにだけあるものではなくて、人のために使う。
人を益するものだと思っている。
日本人は謙虚な人が多いし、自慢するってみっともないって考えがあるから、自分のもっている良いところをあまり語らない。
でも、私はクリスチャンになってそこは変わった。
せっかく神さまから与えられたものは、ちゃんと自覚して、それをしっかり使うことが大切って思う。
だから、しゃべることも、書くことも大好きだから、それは十二分に使う。
ただ、それを自分の力だと誇ってはいけない。
そう思った瞬間に、取り上げられてしまうと感じている。
頂いた賜物をどれだけ使うことができるか?
賜物を通して、どれだけお役に立つことができるか?
そして、賜物を使うことによって、私自身が幸せになっているか?
ときどき、自分に問いかける。
人生は限られた時間。
その中で、私は賜物を使ってどう生きるか?
いつか、天に帰って報告するときが来るƪ(˘⌣˘)ʃ