静かな朝
次男は毎日、8時に出かける。
それなのに、今朝、私は7時55分に起きた。
ヒェ〜〜 ッ !
次男はご飯を食べていない。
昨晩、ハンバーグのたねを作って、朝は焼くだけって思っていたのに‥
次男に謝ると「部屋の前を通りかかった時、お母さまはすこやかに眠っておられたので、ゆっくり寝て頂こうと思って起こしませんでした。ですから朝食をとらないというのは私の選択です。お母さまは謝る必要はありません」
そう言って、ビスコを持って出かけた。
ちなみに次男はお昼も食べないので、ビスコはランチ代りだと思われる。
このところ、本ができる直前で、夜中まで遂行し、それが終わっても、奥付のチェックやカバーについてのやり取り‥
楽しい作業ではあるものの、ずっと睡眠不足が続いていた。
それを知っている次男は、私が起きてこなくても放っておいてくれる。
それでも、出かける前に「お母さま、朝ドラの時間ですよ」とそれだけは必ず教えてくれる。
いつも静かに朝が始まる。
穏やかであること
思いやりがあること
信頼があること‥
そういう世界は天国のように心地がいい(まだ、天国には行ったことはないが‥)
信じることがベース
今日、書きたかったのは
「信頼」
人と人の繋がりは「信頼」で結ばれていると思う。
信頼できる友を選びたいし、信頼される者でありたい。
悲しいのは信頼していた人に裏切られること。
そして、子育てしていても、「子どもに裏切られた」と思うことは何度もある。
繰り返すが、裏切られるのは辛い。
それでも、人を信じる。
子どもを信じる。
また、裏切られる。
だけど、信じる。
私は、割りと騙される。
「何で分かんないんだよ〜」って自分でも突っ込みを入れたくなる。
でも、「そこがあなたの良いところ」と友だちは言う。
「騙されも、騙されても信じるもんね」
呆れ気味に言われるが、そこが私の良いところらしい。
話は変わるが、私はクリスチャン。
神さまとイエス、キリストの存在を疑ったことは、ただの一度もない。
信じる者は救われると言うが、疑心暗鬼でこの人生を生きるか、信じて生きるかって言ったら、私は後者を選ぶ。
時と場合によるが、
やっぱり信じることが私のベースƪ(˘⌣˘)ʃ