光に向かって

反応する、対応する

 

宮崎の講演を終えて、羽田に向かっているときに写真を撮った。

 

なんだか光の部分と、どんより薄暗い部分にくっきり分かれている。

 

それをぼーっと見ていた。

 

そこから感じるものがあった。

 

この世の中には光も闇も存在している。

 

つまり反対のものがある。

 

その中で私たちは日々選択をしている。

 

その小さな選択は実はとても大切で、その選択の結果をどっちにしても自分で引き受ける。

 

例えば、周りの人からの荒々しい言葉にどう対応するか?

 

ケントがまだ家にいた頃、ケントはよく荒々しい言葉を投げかけた。

 

調子が悪いとその言葉に「反応」し、同じような荒々しい言葉で返すととんでもないことになった。

 

でもときには、なんだか笑ってしまうこともあった。

 

もちろん「何、笑ってんだよー❗」と怒られたけど、私がニコニコしちゃってるものだから、それ以上には発展しなかった。

 

よく「反応」するのではなく「対応」すると言う。

 

瞬時にカーッときて反応するとだいたいろくなことはない。

 

穏やかに対応したい。

 

 

光と闇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっきの光と闇の話に戻そう。

 

私たちは分かるはずだ。

 

このことは光からもたらされているか

 

闇からのもたらされているか

 

光は輝いている。

 

闇はどんよりしている。

 

ものすごく分かりやすい。

 

知らず知らず闇の影響を受けているときもある。

 

光に向かっていたはずなのに、なんか違うなぁ

 

さっきの写真、どんよりしているけど真っ暗じゃないよね。

 

真っ暗だったらもっと分かりやすい。

 

つまり、ほんとははっきり分かることだけど、分かりにくい。

 

ややこしいことを言っているのは分かっている。

 

つまり、正しい目的のために頑張っていたのに気づかぬうちにずれていることもある。

 

そんなときは立ち止まって天を仰ぎ見て、もう一度光に顔を向けたらいい。

 

いつでも修正できる。

 

何度も何度も立ち止まる。

 

そして光を見つける。

 

 

そこに向かって歩いて行く。

 

 

光に向かって歩いて行く*\(^o^)/*

 

 

 

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