参りました

将棋の世界

 

「将棋で負けると参りましたと言うのですが、それは本当に嫌なことでした。
今、ゲームの世界では負けても参りましたと言うのではなく、リセットできてしまうのです。
ですから自分の負けをしっかり認めずに済んでしまいます。
ですから今、参りましたと言えるひとは少ないのではないかと思います。
ですが、自分の負けを認める、参りましたを言うことはとても大切なことだと感じます。
将棋は負けだと分かった時点で参りましたと言う決まりがあります。
将棋は分かりやすく言うと、将軍が部下を使って戦うようなものです。
ですから、負けと分かったらそれ以上被害を大きくしないために、そこで参りましたとなるわけです。
ところが私は、この参りましたと言うのが本当に嫌だった。
それで相手を賞賛することにしました。
本当にお強いですね。参りました。
すばらしかったです。参りました。
そんなふうに相手を賞賛することによって、参りましたが言えるようになりました。
それは、つまり相手が強かったから自分は負けたのだということで、自分ではなく相手のすばらしさにフォーカスできるんです。
それほど、自分の負けを認めたくなかったってことです」

 

朝から次男はそんな話しをしていた。

 

 

子どもじみた対応

 

 

 

 

 

 

 

それで、この間のコラム「インディゴ」の先生との会話の話しをした。

 

そのときに次男は言った。

 

「毎日子どもに対応することは本当に大変なことなんだと思います。
相手は子どもなのですから、ついその子どもに合わせて子どもじみた対応を、先生はなさったのだと思います。
お母さんが学校に謝りに来なければ、おまえたちは授業には出られないからな、などというのは誰が聞いても本当に子どもじみています。
多分、先生も色々と言い分はあったのだとは思いますが、お母さまがおとなとしての指摘をしたのですから、先生は認めざるを得なかったのだと思います」

 

それにしても、よく先生も「お母さんのおっしゃる通りです」と言えたよなぁと次男と話していて思った。

 

いくらでも反論できたと思う。

 

でも、そんなふうにおっしゃったのはある意味「参りました」ということで、なかなか言えることではないと思った。

 

ましてや先生という職業柄、言いにくいことだと思う。

 

 

私は潔く「参りました」って言い訳しないで言えるかなァ?

 

 

将棋は、挟み将棋しかしたことないんだけどね(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

 

 

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