一緒にしないでください
「一緒にしなくて良いと思うんです。
一緒にするから複雑になります。
楽しかったこと、悲しかったこと、両方あります。
だから、裏切られたとかそういうときに楽しかったことや嬉しかったことを消さなくて良いんです。
楽しかったって覚えておけば良いと思います。
楽しかったことは存在していたんです。
楽しかったことを悲しみで覆い隠さないでください。
楽しかった。
悲しかった。
それぞれちゃんとあったんです。
ですから、悲しいできごとによって全てを悲しい思い出にしないでください。
楽しかったことを否定しないでください。
楽しかったなぁ。
悲しかったなぁ。
それだけで良いんです。
そういうふうに生きていると、色んなことが乗り越え易くなります。
裏切られてもだまされても、幸せでいることはできるんです」
友だちの誕生日に投げなしの1万円でしゃぶしゃぶをご馳走してきた次男は、しゃぶしゃぶがとってもおいしかったらしく満足そうだった。
それにしても、次男はなんで急にそんな話をするのか‥‥
強いて言えば「お帰り」と言った私の声に多少、元気がなかったのだろう。
「何かありましたか?」
「悲しいんじゃなくて、悔しかった❗」
それだけ聞いて、そんな話をしてくれた。
悲しい出来事で、楽しかったことを覆い隠さないでと言っていたことが心に残った。
以前「諦念」について話してくれたときも、どんなに悲しいことがあっても、それとは別に幸せはやってくるってことを何度も言っていた。
この「諦念」はたくさんの方に読んで頂いた。
心に深く染み入る言葉だった。
次男は淡々と語っていたけれど、優しさが満ちていた。
もし、良かったらもう一度、読んでみてください。
諦念(ていねん)
理不尽
なんとなく、ほとんど意味もなく次男に聞いてみた。
「理不尽な目にあった時、どうする?」
「諦念(ていねん)ですかね。それか試練と捉えるのか」
かれこれ5年位前だろうか、
その時、次男がしてくれた説明は「神様のなさったことは、
改めて「諦念」を調べてみた。
日本語表現インフォによれば
「あきらめること、その気持ち。また明らかに認めること。
5年前の私は次男の言葉を聞いて泣きそうになった。
本当のことを言えば号泣だった。
そのときはとんでもなく理不尽な目にあっていたときだった。
次男は静かに言った。
「お母様、諦念、
そのときに初めて「諦念」という言葉に出会った。
そして、泣きじゃくっている私に次男は最後に言った。
「私はあなたのお役に立ちたいのです」
次男は人の目を見て話さない。
だけど、そのときは私の目をしっかり見てそう言った。
天国でも地獄でもない
話を基に戻そう。
理不尽な目にあったときにどうするかということの続き。
「どんなに悲しいことがあっても、それは永遠に続きません。
そういうこととは関係なく、幸せはやってくるのです。
悲しいときは悲しみにくれて良いと思うんです。
ただ幸せは必ずやってくる。
好きな歌詞に『この世は天国じゃない。だけど地獄でもない』
つまり、そういうことだと思うんです。
この人生は楽しいことばかりではありません。
天国ではありませんから……
ですが地獄でもないので、どんなに辛いことがあっても、
次男はその後、友だちが迎えに来て、温泉だか、
幸せは訪れる
「どんなに理不尽な目にあっても、
その言葉を聞いたとき、心があったかになった。
長く生きていれば、理不尽だなぁと思う経験はたくさんある。
でも、次男が言う通り、幸せはちゃんと訪れた。
辛く、切なく、悔しい涙をたくさん流しても、
次男は言った。
「乗り越えなくても良いと思うんです。
幸せは訪れるのですから……」
別に今、理不尽な目にあっているわけではない。
ほんとになんとなく聞いてみただけだった。
でも聞いてみて良かった(o^^o)
なんて、素敵な言葉をたくさん持っているのでしょう。
次男さんのことばは、いつも優しくて、解りやすくて、的確でお母様を包んでいる。
納得の行かない場面があっても、思い出すとホッとします。
時々、言葉に惹かれて読み進めると、私にも必要な言葉が綴られていて、ことばのガウンで包まれる抱かれたような気分なります。
ありがとうございます。
Yさま
コメント、ありがとうございます。
いつも、次男の言うことはシンプルだなぁと思います。
シンプルでありながら心に深く残ります。