トランプ
と、言ってもアメリカの大統領ではない。
ゲームのトランプ。
元旦はケントの家族がわが家にやって来て、お節を食べた後、トランプをした。
どんなトランプをするか、ルールについてなど、説明は全て次男がしていた。
次男は1ヶ月か2ヶ月に一回友人宅のパーティでボードゲームやトランプを楽しむ。
もうなんとも健全な感じですごく良い。
毎回みんなで楽しむらしい。
そんなわけで、どういうトランプが楽しいか、みんなが喜ぶかよく知っている。
次男は、丁寧にみんなが分かるように説明する。
小学校6年生の孫ちゃんも含めて、わいわい楽しくトランプをやった。
孫ちゃんの観察力や分析力はなかなかのもので、正直私なんかよりよっぽどうまかった。
点数をつけたのだが、孫ちゃんが1位に輝いた。
ちなみに、私はビリ(≧∇≦)
商品はハーゲンダッツ。
みんなの分、買ってあったのだけど、1位の人から好きなものを選ぶ。
たくさん笑って、本当に楽しい元旦を過ごした。
笑いに変える
話は変わるが、今日友人と話していたときに「楽しむ」って話になった。
わが家の悲惨と思われる事件は、結局なんだか笑いに変わってる。
そのときはけっこう大変なんです。
でも振り返って話すと、どうしても笑い話になっちゃう。
「発達障害についての講演だから、なんか暗い感じなのかと思って来たら、なんだかたくさん笑って、楽しかった」みたいなことをよく言われる。
講演をするようになる前から、友だちに「堀内の話はよーく聞くとすごく悲惨なのに、なんだか笑っちゃうんだよね」とよく言われた。
だから、いつももっと話を聞きたくなるらしかった。
そして「次回が楽しみ」とか言われていた。
この「楽しむ」っていうのは、私にとって自然なことで、大切なこと。
まぁ「家族でトランプ」なんていうのは本当に楽しめる。
でも生きていれば、大変なことは山のようにあって、その一つ一つを楽しむか、ただただ苦しむかで大きな差が出て来ると思う。
もちろん、笑えないくらい苦しいときもあるのは事実。
それでもその中にちょっと嬉しいことも、おもしろいこともある。
ケントを育てるのは大変だったけど、それでもその中にすごく嬉しいことも、すごくおもしろいこともいっぱいあった。
人生が終わるとき「あー 楽しかった❗️」って終わるか「辛い人生だった」って終わるか自分次第。
さぁ 今年も楽しんで行きましょう\(^o^)/