生きるのが苦しかった
前々回のコラム「愛はあった」を読まれて「親から、愛されて育って良かったね。
私は母親の言動でどんなに傷ついてきたか分からない」
そんなふうに感じておられる方もあるのかもしれない。
私のブログやコラムを長いこと読んでくださっている方はよく分かっていると思うが、私は父親からは否定されて育ったし、そのことを恨みに思っていた時期も長かった。
それがどれだけのものだったのか
本当はあまりこういうところで書きたくはないのだけど‥‥
私は10代の後半はリストカットの常習者だった。
その頃はリストカットって言葉なんか聞いたことなかったし、私の周りでそんなことをしている人は誰もいなかった。
なんで、そんなことをしていたのか?
答えは簡単。
苦しくて、苦しくてたまらなかったからだ。
その苦しさから逃れるためだった。
切れないカミソリでギリギリやるものだから、私の手首の内側にはいくつもの赤い線が入っていた。
もちろん死ぬ勇気はないから浅い傷だったけど‥‥
生きるのが、苦しかった。
父からは「お前は社会の役に立たん」と言われていたから、生きていちゃいけないんだって思っていた。
まぁ 私に勇気がなかったことを後で感謝したけど‥‥
なんで書いたのか
どんなに父が私を否定しても、傍の母は否定しなかった。
それなのに、私はリストカットをしていたのだ。
つまり、それだけ人を否定する言葉は強烈だってこと。
だからね。
やめてほしいの。
否定しちゃいけない。
次男は大学生のときに私に言った。
「私は親に否定されていたら、生きていなかった」
本当に、自分がリストカットしていたなんて書きたくはなかったが敢えて書いた。
だって、私に勇気があったら、私はここにいなかった。
生きていなかった。
生きるのが辛かった私が生きてこられたのは、母や夫や友だちからの愛のおかげだ。
生きていて良かった。