子どもの着ぐるみ

子どもの頃の記憶

 

今日、ある友だちと話していて、幼いときの記憶がかなり、鮮明にあるって話になった。

 

その友だちは、

 

そのときに感じたこと。

 

そのときに履いていた靴の色。

 

相手が言ったこと。

 

‥‥‥

 

なんだか色んなことをよく覚えているらしい。

 

彼女に比べたら、私などはろくに覚えていないなぁって思う。

 

ただ、多少覚えていることがあり、そのときに感じたことが、この歳になっても同じような感じ方だということに驚く。

 

まぁ 私は私であって、成長はしたものの本質的には私のままなのだから当然だと言えば当然だ。

 

なんか、ややこしい書き方だけど‥‥

 

つまり、子どもの頃の私と、今の私はあんまり変わっていないってこと。

 

子どもは長く生きていないし、経験が浅いから自分でこうだと思っても、おとなから真っ向からそれを否定されると悔しい思いをする。

 

でも、私は子どものときに父親に対して「それは違います。あなた間違っています」って思ったことをおとなになって思い返すと、つまり、経験を積んで思い返してみても、やっぱり子どものときに感じた思いと全く変わらない。

 

つまり、父親の価値観と私の価値観はかなり違っていた。

 

おとな同士なら「あなたはそう考えるのですね」ってことだけど、

 

おとな対子ども。

 

親対子どもとなると、

 

どうやっても子どもは不利だ。

 

 

一人の人として尊重される

 

 

 

 

 

 

 

うちの子どもたちは、子どもの頃からみんな自分の考えがはっきりあった。

 

特にケントね。

 

ほんとに強く主張した。

 

強く主張するけど、学校にもろくに行かないし、弟たちをいじめ倒すし、私には悪態をつく。

 

だけど、そのときのケントと、今、講演で皆さんの前で話すケントとなんかあんまり変わんないなって思う。

 

おとなになったし、奥さんも子どももいるし、社会に出ているけど、本質的にはケントはケントのままだと感じる。

 

時々、思うんだよね。

 

この子は子どもの着ぐるみを着ているだけなんじゃないかって‥‥

 

中身は、おとなと変わらない。

 

だから、子どもを尊重することは大事。

 

「子どものくせに」ってすごく失礼な言い方だと思っているから、私はただの一度も使った事がないんだけど‥‥

 

子どもを一人の人として接することは、必要なことだと感じる。

 

一人の人間として尊重されて成長できたら、その中で自己肯定感はどんどん育つように思う。

 

何だかんだ言って、私は母から尊重されて来た。

 

だから、子どもの頃に感じた思い、そのままでおとなになれた。

 

今は、子どもの着ぐるみ、脱いじゃったから、ほんと楽です。

 

わ た し٩(^‿^)۶

 

 

 

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