言葉にする

次男のこと

昨日、ブログに次男の話を1時間以上聞いていたことを書いた。

そのブログ(2016/08/19)

それは珍しいことではなく、いつも次男とはとりとめのない話をする。

と言うか、私はもっぱら聞く方が多いのだけど……

次男の話はおもしろいし、私は聞いているのがけっこう楽しい。

だから、せねばならぬって思いは一切ない。

今日はハピサポ(発達障がい ハッピーサポート)の集まりがあって、おしゃべりしながら帰ってきた。

その時に、自分の思いを言葉に表していないと、身体が先に悲鳴をあげるっていうか、調子悪くなったりするっていう話になった。

思いを言葉にすることは大切だと常々思っている。

私はありがたいことに、思いをこうして文章化したり、講演では言語化しているし、それ以前に夫は私の話をよく聞いてくれる。

だから、あまりストレスがない。

話すことの大切さ

話を戻すと、私が子どもたちの話をゆっくり聞いていることは、子どもたちの精神的安定には大きな役割を果たしているのではないかと思った。

まー これを自画自賛と言うのだけど(*>_<*)ノ

これまたブログに、三男がいつも、みくる(=^・^=)に話しているということを書いた。

ニャンと話している時の三男は穏やかで優しい。

とにかく相手が人間でもニャンでも、話す、つまり言葉にするっていうのは、いいことみたいだ。

しっかり話を聞いてもらうと、気持ちの整理ができて、自分はどうしたいか分かったりする。

だから、自分がどうしたいのか、分からなくても話す。

何が言いたいのか分からなくても話す。

それを静かに聞いてくれる人がいれば、きっとみんな満たされるし、元気になると思う。

それが、親でも伴侶でも、友だちでも、クリーニング屋のおばちゃんでもいいと思う。

説教せずに聞いてくれる人がいれば、元気でいられる\(^o^)

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