人を喜ばせる

価値観の相違

 

何だかんだ言って、私は人を喜ばせることが好きなんだと思う。

 

多分、多くの人もそうだと勝手に思っている。

 

所詮、自分の幸せだけ願って、それが得られてもその喜びはそんなに大きいものではない。

 

人の笑顔を見て、喜ぶ姿を見て、幸せな気持ちに満たされる。

 

自分を満たすこともすごく大事だけど、やっぱりそれだけじゃ満足できない。

 

 

おととい、私が父と大きく価値観が違うと書いた。

 

 

そのことをはっきり覚えている出来事がある。

 

 

幼稚園か小学校の1年生くらいのときだった。

 

父は私にきれいなパッケージをたくさんくれた。

 

色とりどりできれいだった。

 

しかも、同じ種類のものもたくさんあって、私はその瞬間に友だちにあげようと思った。

 

こんなにきれいだから、友だちは喜んでくれるに違いない。

 

私はさっさと行動に移した。

 

友だちは喜んでくれた。

 

私は満足だった。

 

 

ところが、その後パッケージがかなり減ってしまっていることに気付いた父は「どうしたんだ?」と言った。

 

 

私は「友だちにあげた」と言った。

 

すると、父は怒り出したのだ。

 

「せっかく、おまえにあげたのに、なんでそれを人にあげてしまうんだ」

 

私は友だちに喜んでほしかった。

 

私の幸せを分けてあげたかった。

 

ただ、それだけ。

 

しかし、父は怒り続けていた。

 

だいたい、私がもらった物をどうしようが、私の勝手なのだ。

 

しかも、粗末に扱ったわけではない。

 

大切だったからこそ、分けたかった。

 

 

だから、怒られることに納得がいかなかった。

 

 

変わらない思い

 

 

 

 

 

 

 

 

おとなになってもその思いは変わっていない。

 

 

だから、子どもが大切にしているカードを小さい子にあげるのを見て、私は「いいなぁ」って思っていた。

 

そして、そのずっと先に、ケントや次男は皆さんの笑顔を見ることに大きな喜びを得て講演活動を続けている。

 

人に喜んでもらうってすごく良い。

 

自分も満たされる。

 

人が喜ぶ笑顔は原動力。

 

 

それでね。

 

 

子どもたちの大好物のチャーシューをしょっちゅう作っちゃうわけだ(^_−)−☆

 

 

 

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA