悪いことをした人のお陰
「お姑さんが意地悪な人でお嫁さんが一生懸命に介護をしていても、感謝をするどころか、嫌なことや文句ばかり言います。
お嫁さんは何とか喜んでもらおうと努力して、介護の達人になりました。でも、お姑さんは最後までお嫁さんに感謝しないし、ひどいことを言い続けた。
それでもお嫁さんは言うんです。
『お姑さんのお陰で私は介護が上手にできるようになった。お姑さんに感謝している』と
それは違うと思うんです。
お姑さんが、感謝もせず、お嫁さんに嫌なことを言ったことは良くないことです。
それとは別にお嫁さんは自分の努力で介護の技術を身につけた。
そこをつなげて考えなくてもいいんです。
つなげて考えるからおかしくなる。
悪いことは悪いんです。
そこに意味を見出そうとしなくてもいいと思っています。
ですから、私は全てのことには意味があるという考え方には違和感を感じます」
次男は、こういうことをよく言う。
「悪いことをした人のお陰」なんて言ってほしくないと言う。
つなげて考えない
でも辛く悲しいできごとを乗り越えるのに「このことにはきっと意味がある。このことのお陰で私はたくさん学んだ」
そんなふうに思いながら、乗り越えて来た私としては、次男に真っ直ぐそんなふうに言われても「おっしゃるとおりです」とはなかなか言えない。
「お母様、つなげて考えなくてもいいんですよ。嫌な出来事は嫌だったで終わっていいんです。
でもそこから自分は何をするか?
どう生きるか?それは自分で決めています。嫌な出来事と、自分がどう生きるかを結びつけて考えなくていいんです」
このことは何度も何度も次男に言われている。
どうやら、何度も言うことは大切なことらしい。
今日も長い時間そのことを話してくれた。
ちなみに高校の時の国語の教科書に最初の話と似た話があって、めっちゃ違和感があったので、とことん考えたらしい。
どっちにしても違和感を感じたことをそのままにせずに、じっくり考えて、自分で結論を出すっていう習慣は良いと思う。
でも思うんだよな
ケントが大変な子だったお陰で、本が書けたって(^_^;)